2011年01月12日

法律や条例はルールであって道徳ではない 〜児童ポルノ法改正案 と都条例改正議論の類似点〜

皆様、新年明けましておめでとうございます。
年末から昨日まで原稿締め切りに追いまくられるデスマーチだったため、私にとっては今日が事実上の年明けです(^^;

さて前のエントリーをUPした後に、「児童ポルノ法改正案の問題と今回の都条例改正問題の違い」について聞かれました。
様々な点で今回の条例改正と児童ポルノ法改正案とは異なるのですが、2点共通の部分があります。
それは「判断基準が曖昧で“恣意的運用”が可能」「特定の道徳観の押しつけ」と言う点です。
児童ポルノ法改正案も都条例改正も国民の自由を制限する法律や条例ですので、客観的で誰が判断しても同じ結果になる事が大切なのですが、この最も大事な部分が欠けています。
特定の道徳観が国民全体の価値観となっている場合、例えばイスラム教国ではイスラム教に基づく道徳観が国民全体の基本的なコンセンサスを得ているので特に問題にはなりにくいですが、国民共通の価値観になっていない場合は、特定思想に基づく検閲と何ら変わりなくなります。
これはヒットラーなど過去の独裁者たちが国民を弾圧、統制するために行った言論制限や検閲行為と同じ類のものです。

ということで、都条例(東京都青少年の健全な育成に関する条例)の改正については今後書くとして、とりあえず以前児童ポルノ法改正案の問題が起こったときに別の場所で書いた文を参考として転載します。
べ・・・べつに原稿書く時間がないから埋め草ってわけじゃないんだからねっ(^^;
なお、以下に転載・再録した文章は2009年07月25日に別の場所でエントリーしたものですので、現在と状況が違う部分もあると思いますが、基本的な問題点は変りません。



【法律は道徳ではない 〜児童ポルノ法改正案と痴漢えん罪の共通点〜】


児童ポルノ規制法はなにを目指した法律なのか

児童ポルノは「実は既に規制されて」います。
”改正”ですから当然規制法案は既に存在します。
児童ポルノ規制法の正式名称は「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」です。

そもそも、児童ポルノ規制法は第一条に『児童に対する性的搾取及び性的虐待が児童の権利を著しく侵害することの重大性にかんがみ、児童買春、児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利の擁護に資することを目的とする。』とあるとおり、 「 性的搾取及び性的虐待から児童を守るため 」 の法律です。
これはどの国の児童ポルノに関する法律でも同じです。
つまり「”児童の”性的搾取」および「”児童の”性的虐待」から児童を守ることのみがこの法律の目的であり、それ以外の部分は本来の趣旨に反する内容と言えます。

言い換えればこの法律は「児童から性的搾取を行う人」および「児童に性的虐待を行う人」を処罰するための法律です。
第一条だけを見るならば・・・ですが。



法律とは「ルール」であって「道徳」ではない

法律は「ルール」です。
対象と条件を、曖昧さを排除して厳格に定義することが「ルール」の根幹です。
なぜなら、判断する人によって結果が変わってしまうなら、恣意的な運用が可能になり、そこに利害や感情が入り込む余地が生まれてしまうので、公平な条件であると言えないからです。

児童ポルノ規制法を見てみると、第一条の理念からすれば児童の保護が目的なのですから、当然被害者がいて初めて成立する法律でなくてはいけません。
ですが、今回の改正案では規制対象として「絵や小説など架空の創造物」も対象とされました。
これは被害者の存在しないポルノを規制することになるため、本来の趣旨から逸脱しています。

なぜこのような話が出てきたのかは、この規制を提案した面々が女性議員であることから概ね想像がつきます。
つまり「こんな破廉恥なマンガを野放しにしてはけしからん」という、PTAがよく言うアレです。

ここで問題はさらに大きくなります。
日本ユニセフ協会(これは国際機関であるユニセフとは関係ない、国内の問題のある任意団体です)などが、昨年から提唱し始めた「準児童ポルノ」という概念ですが、これは児童に見える成人や児童を演じた成人、アニメや漫画のキャラなどを対象としており、もはや児童の権利や性的搾取とは何ら関係ありません。
前述の「こんな破廉恥なマンガを野放しにしてはけしからん」という発想も、この準児童ポルノの範囲を想定しているようです。

しかし、この準児童ポルノを全面的に規制している先進国はカナダのみであり、米国では違憲判決を受けています。
そして全面規制しているカナダですら、準児童ポルノに該当する作品を規制するのは児童ポルノの規制法ではなく、「道徳を堕落させる罪(1993年刑法典163条)」での規制です。

つまり、被害者のいない表現物の規制とは「道徳の範疇である」ということです。

道徳とは文化的な価値観であり、これは文化背景や地域、時代、思想によって大きく変わります。
たとえば案外知られていませんが、日本は元々性的には大らかな文化でした。
江戸時代(場合によっては明治あたり)までの日本国民の大部分は農民で、農村では多夫多妻制に近い乱婚状態が珍しくありませんでした。
また男性の同性愛は衆道と呼ばれ、諸外国に比べるとそれほど偏見を持たれないなど、性文化に関してはある意味最も進んだ国の一つであったと言えます。
(○○は俺の嫁やら腐女子文化などもその辺りの文化的風土が影響してそうです。)

このころの道徳から言えば、女の子は13才くらいになれば結婚するわけですから、それ以上の年齢は”児童”ではありません。
児童ポルノ規制法の上限である18才の女子なんて村によって行き遅れ扱いの可能性だってあります。
乱婚(と言うか嫁さんは村全体の嫁という文化)からすると、不倫という概念は村の男性以外と逢い引きした場合に限られますし・・・

まあ、今のPTA辺りが騒いでいる道徳から見るとかなりすごいことになります。

同じ日本国内でも、たった100年ちょっとでこれだけの道徳観の違いが現れます。
ましてや、そこに個人の思想や嗜癖が加味されれば、十人十色を地でいく道徳観が生まれます。
こんな曖昧な判断で人を裁くことが許されるなら、なんでも出来てしまうでしょう。
本来、人を裁くのは神の仕事でした。
それを人間が替わって行う以上、公平で公正なルールによることは絶対的な条件です。
ですが児童ポルノ規制法の改正を叫ぶ方々は、この点に全く目をつぶっています。

道徳は多くの人が共感しやすい部分です。
しかし共感しやすさから妄信的になって道徳を法律に持ち込んだとたん、法律は恣意的運用の対象となり、日本は法治から人治の国に時代を逆戻りしてしまいます。
道徳は大事ですが、道徳によって人を裁くのは文明社会のありようではありません。

法律とは「ルール」であって「道徳」ではないのです。



曖昧なルールはえん罪を呼ぶ

ご存じの方も多いと思いますが、私は文書鑑定や画像解析などで裁判用資料等を作成する仕事も行っていますが、えん罪に関する裁判に関する依頼があります。
ウチに来る中に今のところ痴漢関連のお話はありません。
しかし、多くのえん罪を主張する事件に多く共通するのは、証拠品の取り上げ方が恣意的であると言うことです。
検察側のストーリーに会わない証拠は取り上げない、結果として被告側はえん罪を主張するという構図です。

痴漢のえん罪はもっとひどく、多くは証拠もなしに「被害者の主張のみ」で裁判を進めます。
なぜなら痴漢の証拠を集めるのはとても難しいからです。
そのため、唯一の証拠である被害者の主張(証言)のみで裁判が進み、えん罪が多く発生します。
まあ痴漢関連に関してはいろいろ言いたいこともありますが、いまここで問題なのは、「被害者の主張」という主観的な話で人を裁くと言うことです。
要するに、仮に鞄が当たっていたとか、満員で膝や肘があたっていたとしても、「女の子が痴漢された」と”主観的に感じたら”、現状ではその時点でほぼアウトということです。
この構図は児童ポルノ規制法でも同じです。

児童ポルノ規制法ではポルノを、
  1. 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したもの
  2. 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの
  3. 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの
と定義していますが(3)が問題です。

「衣服の一部を着けない児童の姿態」の部分と、「性欲を興奮させ又は刺激するもの」が問題部分です。

まず衣服の一部を着けないと言うのが非常に曖昧です。
夏ならTシャツとショートパンツでもおかしくないですが、冬ならコートを着てない時点でアウトと言われても反論出来ません。
それは衣服を全部着た状態の定義が存在しないからです。

次に、「性欲を興奮させ又は刺激するもの」というのは言い換えれば性的に興奮するかということですが、
たとえば年上にしか興奮しない人(こういう人はいます)や、髭の生えた男性にしか興奮しない人にとっては、少年や少女の裸の写真はなんら性的興奮を起こす物ではありません。
しかし捜査上で検察官などが「この写真は児童ポルノである」と宣言すればアウトです。
その写真が親戚の子供で、夏に一緒にプールに入った時に親御さんに撮ってもらった写真だったとしても、です。

主観的な判断で法律の運用が出来る状態は、すなわち捜査関係者の価値観による断罪に繋がります。
それは言い換えれば、被告本来の意図に反したえん罪を生み出す温床になると言うことです。
交通違反で捕まった時、免許証を出したら免許入れに自分の子供の裸の写真が入っていて、
それを見た警察官に有無を言わさず児童ポルノ規制法違反で逮捕される事だってあり得るのです。

主観的な運用が出来る法律を推進したり認めたりすると言うことは、これを読んでいる方々が、全く自分に罪が無くても、なんらかの恣意的運用でえん罪の対象になる可能性を自分たちの手で作り出してしまうと言うことでもあります。

そして実際の性的搾取や性的虐待の大半は、マンガやアニメ、写真の単純所持といった問題ではなく、子供の親や親族、知り合いといった、子供の周囲の大人によって発生しています。
この部分を放置して、えん罪の温床になるような改正を進めるべきなのでしょうか?

そこをきちんと理解した上で、皆様にもじっくりと考えていただきたいものです。



【補足と参考になるサイト】

性的搾取の問題の根本は、実は「性的サービスを売る側への罰則がない」事だったりします。
業として売春を斡旋すればその業者は捕まりますが、売った本人の女性はた罪を問われ内例が珍しくありません。
援助交際も、買う側への罰則はあっても売る側への罰則がないので、子供は罪の意識を持ちません。
子供の写真やパンツを売る行為も、買った側への罰則はありますが、売った親への罰則はありません、
この辺りが、規制法の効果が半減し片手落ちになっている原因です。

児童ポルノ規制法に絡む日本ユニセフ協会等の発表は欺瞞に満ちています。
たとえば彼らは日本が児童ポルノ大国だと主張していますが、統計的根拠は全くありません。
それどころか、児童ポルノの発信ではアメリカ54%、ロシア28%、ヨーロッパ8%と欧米で90%以上を占めていますし(アジアは7%弱)、
児童ポルノの利用者はアメリカ23%、ドイツ15%、ロシア8%で、日本は2%弱と米国の1割以下でしかありません。

さらに言えば、児童ポルノ規制法改正案の元になった統計を作った財団法人は、日常からデータ偽造を繰り返していたため処罰を受けており、また調査方法は対面式で、こういったデリケートな問題では絶対に使われない手法でデータを集めています。

この辺りはマスコミがほとんど報道しないので知らない方のほうが多いかと思います。


児童ポルノ規制法改正案についてはさらに細かな問題がありますので、
詳しくは下記のサイト等をご覧ください。

posted by FumiHawk at 10:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 情報分析 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする