2013年01月22日

マスコミの終わりの始まり -あえて非公表にされたはずのテロ犠牲者遺族への取材と失われた報道人の矜持-

今回のテロに関する報道で、マスコミに対し極めて強い怒りを覚える。

テロ被害者の氏名公表を迫るマスコミが、ついに氏名公開要求だけに飽きたらずご遺族にインタビューを敢行・・・人としてあまりに下衆過ぎる。

もしテロの被害受けてお亡くなりになった方々の氏名を公表したら、それを受けたマスコミがご遺族に殺到するのは想像に難くない。
メディア権力を背景に自らの利益の為だけに他人の不幸を更にえぐる・・・レベルは違うが、行動原理はテロリストと対して変わらない。
そんな2次被害、国民はこれっぽっちも望んじゃいない。

だからこそ、政府も日揮も被害者氏名に関して非公表を貫いている。
不特定多数の被害者が発生して、安保確認が必要となる震災などと違い、関係者が状況を把握できる範囲が確定してる事を考えると、被害者の実名をしなくても事件の分析や解明、経緯の報道には影響は極めて少なく、ご遺族や関係者の心情を思うと実に筋の通った対応である。

にもかかわらず、マスコミは「被害者の実名公開が報道にとって極めて重要」といってはばからない。
挙げ句の果てにマスコミ関係者や記者の方が、
『事実を出来る限り明らかにして、社会で共有していくのが報道の原則。それで権力の監視、問題提起、歴史化(記録)などの役割を果たせます。実名報道はその一環』だの、『事件を公的なものとして歴史に刻むため』だの、『岩手日報は今、震災で亡くなって人全員の名前、写真、生前の営みを紙面化する仕事を続けています。実名報道には、悲しみをみんなで共有し、悲しみを癒す力があると信じます』だの、『(日航ジャンボ機墜落事故を例に)もし匿名だったら、どんな記事になっていたか。そもそも取材もできない…』と言い出す始末。

・・・実名云々以前に、報道に携わる者としての矜持はないのか?


「実名が記録の一環」だとしても、なぜ“今”でなければならないのか。

人が亡くなるという事は、ご遺族にとって極めて精神的苦痛が大きいだけでなく、目も眩むような忙しさに直面する事でもある。
記録なら一分一秒を争うものではない。
記録としてどうしても実名が必要なら、一周忌が終った後…それが遅すぎるというなら、せめて四十九日が終って納骨が済むまでご遺族をそっとしておく事が出来ないのか。

事件はアフリカで起ったもので被害者の氏名は全く事件と関連性がない。
ただでさえ苦しい状況に、さらに数十人以上にも及ぶマスコミへの対応を遺族に押しつけるほどの重要性があるわけがない。
その程度の事が理解できていないなら、救いようもないほど状況認識のレベルが低いという事だし、理解して尚主張するのであれば“報道の重要性に名を借りたエゴ”としか言いようがない。

「事件を歴史に刻む為」に被害者の実名が必要というのなら、名も知らない多くの方が亡くなった関東大震災は記憶されない事件という事になるので、理論破綻している。


岩手日報を引き合いに出すのも、マスコミ関係者が何が問題の本質であるか理解できていない証拠。
安否確認の為に被災しながらも新聞を発行し生存者の氏名を載せた岩手日報と、自社都合で非公開のテロ被害者の遺族にインタビューしたマスコミは天と地ほどの開きがある。
岩手日報は震災の厳しい中で地域の報道機関として精一杯の努力を行い、それで勝ち取った信頼があるからこそ遺族の方々に「お宅の紙面に生きた記録を残して欲しい」と言って貰えるのであって、なんの努力も貢献もせずに形だけ見て引用するなど、問題の本質を全く理解していない事を告白しているのと同じと言える。

「もし匿名だったら、どんな記事になっていたか。そもそも取材もできない…」に至っては、マスコミ自体の自殺と言ってもいい。
報道は「起った事実を報じる」事が基本で、さらにその事実を分析し大衆に知らせる事こそ本質。
報道の本質から言えば、ご遺族のインタビューは枝葉末節に過ぎない。

事件はアルジェリアで起っているのだから、まず現場もしくは周辺の調査や報道が最優先。
同時に事件の背景を洗い出して報道する事も大切。

アルジェリアが中国とズブズブだという事実をいつ報道した?
アルカイダ系テロ組織が中国のウイグル人イスラム教徒を虐殺した事に対して報復を宣言していた事はどれだけメディアに載っている?
アルカイダ系テロ組織が中国とズブズブなアルジェリア政府を憎んでいる事は?
現地へ行かなくても、公的情報ときちんとした分析があれば、自体の全容の予測がある程度掴めるが、専門家のインタビューでお茶を濁していないか?

実名がなければ読者の心を動かす記事が書けないなら、それは実名かどうかの問題ではなくて記者の力量の問題である。
事実、世の中には力量のある作家が匿名や仮名どころか「架空の人物」を主人公に据えた小説が多数存在し、その登場人物に共感し、その死に涙を流す人が世の中沢山いる事をどう説明するのか。

いずれにしても、今回の事件に関して被害者遺族への取材をするのであれば、関係者はその行為が『マスコミの終わりの始まり』であると自覚した方がいい。
突然の死に悲しむ事さえ難しいご遺族にマイクを向けるマスコミの姿は、多くの国民に「何か事件に遭ったら自分もあんな風にされるのだ」という恐怖感を抱かせ、今後の取材はより困難になって行くであろう。

百歩譲って、もし報道関係者の言う『希望したご遺族のみ実名報道』が本気なら、新聞の一面や番組の冒頭で取材希望するご遺族に“連絡下さい“とメッセージを出せば良いだけ。

呼んでもいないのに玄関まで来て呼び鈴押されるのすら嫌なご遺族だっているだろう。
連絡がなかったとしたら、全てのご遺族が話したくないか、メッセージを出したマスコミが信頼されていないかどちらかな訳だから、いずれにしても不幸な邂逅が発生しなくて済む。
この程度の努力すらしないで実名報道の大義ばかり訴えられても方便にしか聞こえない。

そもそも、取材する側が「報道機関名という名の匿名」に守られながら他人の実名を要求する時点で不公平きわまりない。
そんなにテロ被害者氏名の公表を要求するなら、マスコミはそれに先駆けて全ての報道を担当者の実名明記した署名報道にするといい。
被害者のお名前が公表され、メディアで何度もその事実を突きつけられるご遺族の心痛、そして無用の取材攻勢でご遺族の心労に比べれば、報道の責任の所在が明確になる方が多少なりとも国民のためになるし、ご遺族のインタビューよりも国民は報道機関の責任明確化を望んでいる。
社会の木鐸を自認するならその程度出来るだろう?

マスコミには力がある。
だからこそ、遺族のインタビューよりも、きちんと状況分析して報道しなければ、その力は国民にとって害悪でしかなくなる。
今回の事件はアルジェリアで起ったが、危険な地域で必死に働いてる日本人はまだまだ沢山いる。
マスコミがその本道に立ち返り、今回の事件を十分に分析して報道すれば、そう言った世界中で活躍している人達の安全が確保できるかもしれない。
それこそが「マスコミにしかできない被害者への弔い」だと考える。
国外での武力展開が出来ない日本にとって、情報は生命線である。
その情報を扱うマスコミに期待するからこそ、今回の対応に極めて強い憤りを感じる。

再度言う。
今回の事件に関してこのまま被害者遺族への取材をするのであれば、関係者はその行為が『マスコミの終わりの始まり』であると自覚した方がいい。
posted by FumiHawk at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報リテラシー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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