これはなにも日本に限ったことではなく、諸外国でも似たり寄ったりです。
確かに、国によってはデモや集会、意見広告やビラまきで世論が動いたり体制が崩壊した例もあります。
ですが、現代日本に限って言えば「“敵を倒すための”戦術としては非効果的」と言わざるを得ません。
もっと言えば、敵を倒すためだけを考えれば有害ですら有ります。
こう言われるとビックリするかもしれませんが、よく自分のことを思い出してください。
(このブログの読者を想定していますので、当然スタンスは「日本大好き」です)
もし貴方が「民主党政権を守れ!」というデモに遭遇したらどう思いますか?
もし貴方が「鳩山政権支持1万人集会」に遭遇したらどう思いますか?
もし貴方が「外国人参政権賛成」や「帰化条項の緩和」をうたったビラを配られたら?
もし貴方が「対馬は某国の領土」と主張する新聞の一面広告をみたら?
答えを聞くまでもなく「極めて不快」でしょう。
この質問をあちこちで聞くと、無視するレベルから破り捨てるレベルまで様々な反応が返ってきますが、それらに共通するのは「極度の不快感」です。
これは意見を直球で主張するという手法は、同時に主張の異なる相手を否定することでもあるので当たり前といえます。
またデモは日本語では「示威行為」と言い、「示威」とは「威力や気勢を他に示すこと」で、特定の主張を持った示威とは言い換えれば即ち「威嚇」です。
威嚇されて気分の良い人は居ないですし、多くの人は関わりたくないと思います。
集会も同様で、特定の主張を持った人達が集まって居ること自体が威圧になります。
例えば「一人一人はよい外国人でも、彼らが公園に何百人も集まって気勢を上げていたら近寄りたいですか」と言うことです。
そもそもデモは「俺らの言い分聞いて来んないなら、プラカードの代わりに武器持ってやっちゃうよ」と言う“支配階級に対する示威行動”の側面が強いわけですし、先進国のデモや集会の場合は「デモ等をメディアが取り上げることで社会へ広く問題をアピールすることが目的」です。
つまり武力闘争を暗示する状態でなく、しかもメディアが取り上げないならデモや集会は徒労でしか有りません。
またビラも興味を引くような良く出来た内容のモノ以外は、基本的に主張の押しつけになるため効果が限定的です。
意見広告も同様、意見が違う人は広告に反感を持ちますし、興味がない人やおQ層は最初から広告を飛ばします。
状況次第ではこれらの行動は大きな反感を買い、理解者を増やすどころか逆に敵を作り出してしまいます。
では、左翼がやっているデモやビラ配り等はというと・・・これは「内向きの活動」です。
左翼の方の行うデモ等の目的は「行動した達成感による身内の団結」です。
デモ等を企画する幹部達は最初から賛同者を増やすことだけを目的とはしていません。
行動することで賛同者達に「活動の手触り」を与え、反感に身をさらすことで「純化と強固な団結」を計ります。
デモや集会をすること自体が目的になることもあります。
ですので日本の場合、デモ、集会、ビラが戦術として非効果的なだけでなく、状況次第では極めてまずい戦術になります。
そして現在は「状況次第では」の状況です。
デモに参加し、ビラを配り、意見広告を出し、集会に参加し・・・それでもなにも変わらなかったら?
行動した人達は落胆に暮れ「心が折れる」のです。
これは先だって書いた【情報リテラシー講座その3 『情報戦では「貴方の心」が攻撃目標 -洗脳だけが攻撃ではない- 』】のリアル版といえます。
これらの活動に参加するのはかまいませんが、努々精神力を削られて、いざというとき動けなくなりませんように。
平和で、時間に余裕があり、メディアが公平であれば、よく内容や演出が練られたデモやビラまきは大変有効です。
ですが現在は緊急事態ですし、日本にはデモやビラの内容や演出を効果的に練り上げる事が可能な人はほとんど居ません。
現在必要なのは「実効性のある活動」です。
その意味では、本日FreeJapanさんがTwitterで拡散していた「各種の請願活動」は、政治家の協力もあるようですし、請願の採択率が極めて低いとはいえデモより実効性が高い戦術です。
なんて書くと「なら何やれば良いんですか!」って怒られてしまいますので、まずは「身近な人達で小さく団結力のあるクラスター(グループ)を作る」ことをオススメします。
このクラスターが、実効性のある戦術(“祭り”)が提示された際の基本戦力になります。
[ 追記 ]